『町民コンサート』:1974年

虹のかかる町山形ナショナル電機の社員に伊藤さんというオーディオ機器の神様のような方がいました。その伊藤さんより、
「当社主催でコンサートを開いてみないか?」とお誘いがありました。それがひょんなことから思わぬ方向に・・・

それは、1974年のことでした。その前の年、1973年12月に発売した「日立ミュージック・イン・ハイフォニックのテーマ/白い船白い鳥」(高田敏子詞、山本直純曲)がヒットしブレークし始めた「やまがたすみこ」さん。
伊藤さんは日立Lo-Dのオーディオ繋がりのコネで、当社がその「やまがたすみこ」さんを、大江町にお呼びすることになったのです。

そして、1974年6月、「町民コンサート」が開催されました。ちょうどヒットしている「白い船白い鳥」とそれを歌う「やまがたすみこ」さんの事は町民も知っています。「やまがたすみこが大江町にやってくる!」という噂はたちまち町中に広まり、当日は、会場となった大江町中央公民館大ホールに、老若男女、やまがたすみこさんを知る人も知らない人も大勢集まり、満員御礼、異様な熱気に包まれたのでした。

しかし、前年にデビューしたてのアイドル「やまがたすみこ」さん。コンサートといっても、実はそんなに持ち歌がなかったためなのか、事務所の計らいなのか、抱き合わせで、もうひとつグループのミュージシャンがコンサートを一緒にするべく参加したのでした。

そのグループというのは、長崎県出身で、高校時代の友人同士という男の子二人のユニット。やまがたすみこさんと同じく1973年にデビューしたばかりでしたが、こちらのグループが出した曲は鳴かず飛ばずで全然ヒットしませんでした。そのため、セットで山形の片田舎まで来る羽目になったのでした。

そのコンサートの前座として、彼らグループが4月25日に出したばかりの新曲を大江町の皆さんにお披露目してくれました。田舎の人達はそれが無名のミュージシャンが歌っていたとしても関係ありません。食い入るように彼らの歌を聞き、その歌詞に耳を傾け、うなずきながらその歌の世界に溶け込んでいったのです。そのしっかりと前座の役目を果たした彼らに、町民たちはおしみなく拍手を送りました。そして彼らが楽屋に引っ込んだ後、本命のやまがたすみこさんの番となりました。

先ほどよりさらに拍手の渦、緞帳が上がりきると、そこにはテレビで見た事のあるかわいいアイドルが立っていました。なかには、表情すらわからないぐらい遠かった人もいたかもしれません。でも、誰一人文句ひとつ言わず、シーンと静まり返り、咳払いひとつできないような静寂の中、前奏が鳴り始めたのでした。

歌手やアイドルを生で見ることとは無縁の田舎の人々は、瞬きするのも忘れるほど真剣に歌を聞きました。中には地元の若い人達によるにわかファンクラブがアイドルコンサートさながらに応援する場面もありました。

そうして、山形の片田舎の人々に、テレビの世界を提供したコンサートが終了しました。残るは、主催者による謝辞と花束贈呈です。
司会者による歌手の紹介と主催者の謝辞の後、舞台裏でコンサートそっちのけでスタンバイ状態だったカイノ電器三姉弟の出番がやってきたのです。緊張しながらも三人それぞれが花束を持ち、姉二人は最初の前座をしたお兄さん達に花束を、弟(実は三代目社長)はやまがたすみこさんに花束を渡し、観客の拍手喝采の中カーテンは降り、無事コンサートが終了したのでした。

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舞台裏では、やまがたすみこさんのサイン会のために、実に大量の色紙が控室に用意されておりました。

ところが、楽屋裏に行くと、その置いてあった色紙がまったくありません。探してみると・・・なんとあの最初に歌ったグループの兄さん達が、自分たちのサイン用の色紙だと勘違いしたらしく、すべてに自分たちのサインを書いてしまっていたのです!
彼らは、「ここの地元の人たちはこんなにも我々の歌を真剣に聞いてくれ、しかも自分達のためにこんなに色紙を用意してくれるなんて・・・」と感激ひとしお、「今はヒットはないけれども、もっと頑張れるぞ!」とさらに勢いづいて、すべての色紙にサインを書き終えたということでした。

もちろん、無名の彼らのサインをもらってもあまり嬉しい人は少なく、かろうじて街の文房具店から色紙をありったけ買ってきて、本命の「やまがたすみこ」さんのサインをもらったということでした。

そんなハプニングもありましたが、アイドルの来町に盛り上がった大江町は、また平常通りの静かな町に戻ったのでした。

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しかし、そこで物語は終わりません。その年の暮れ、大江町民はあっと驚くことになります。
というのは、年の瀬もせまった大晦日、第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞したのは、なんとコンサートにセットで来た男の子二人組のグループだったのです。町民の何人が、彼らを覚えていたでしょうか?幸運にも、彼らのサインを持って帰った人は、
「精霊流し グレープ」
というサインを改めて見ることになるのです。

そのグレープの一人、後にソロで大活躍、皆さんご存知の「さだまさし」さんは、今でも山形に来るとその思い出を話してくれるそうです。(お客様談)

写真もサインも行方不明なので、証拠の画像がなくてすいません。

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昭和49年(1974年)の出来事

  • 長崎県高島町(現長崎市)の端島(軍艦島)が炭鉱閉鎖。
  • 永谷園が「あさげ」を発売。
  • シャルル・ド・ゴール国際空港が開港。
  • ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
  • 山形県大蔵村の松山で大規模な土砂崩れが発生。
  • セブン-イレブン東京都江東区に第1号店を出店。
  • ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任。
  • 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える。
  • 原子力船むつが放射線もれ事故。
  • 巨人の長嶋茂雄選手が後楽園球場対中日を最後に引退。
  • 田中角栄首相辞任。三木武夫内閣発足。

ヒット曲

  • フィンガー5「恋のダイヤル6700」「学園天国」
  • 森昌子「おかあさん」
  • 山口百恵「ひと夏の経験」「ちっぽけな感傷」
  • 伊藤咲子「ひまわり娘」「木枯しの二人」(海野家と遠い親戚と祖父から聞いた事があるが?)
  • グレープ「精霊流し」
  • かぐや姫「赤ちょうちん」「妹」
  • 森進一「襟裳岬」
  • 西城秀樹「激しい恋」「愛の十字架」「傷だらけのローラ」「薔薇の鎖」
  • 郷ひろみ「よろしく哀愁」「花とみつばち」
  • 海援隊「母に捧げるバラード」
  • カーペンターズ「イエスタデイ・ワンス・モア」
  • ささきいさお「宇宙戦艦ヤマト」

(Wikipediaより参照)


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