『店舗の建て替え』~1963年の電器店~
- 2011年 2月13日
- カテゴリー : ETC . 創業85周年スペシャル
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二代目:海野健治が海野ラジオ店に入社すると、店舗(現在の大江店)の改装をまず行った。土間を直したり、看板を掛替えしたり、扉を直したりした。しかし、古い木造の建物のままでは、限界を感じていた。
当時の松下電器産業は、近未来型の電器店のあり方として「店舗活用」を打ち出していた。具体的には、店舗の改装と近未来型の商品展示だった。しかし、その提案を実行するには費用もかかり、躊躇する電器店も多かった。
1962年(昭和37年)、入社四年目の健治は、翌年10月に行なう自分の結婚を控えて、店舗を建て替えすることを決意する。
明るい照明、流行りの装飾、夢のような新製品の展示、テレビを映しショーウィンドーに置く、話題のホームステレオを聴かせる・・・そんな店をイメージした。
そして、1963年(昭和38年)店舗が完成した。思い切って建て替えした店先は、田舎ぐらしの町民に明るい未来をイメージさせた。おそらく、どの町でもこうした風景があったのだろう。この後、電化製品はめざましく普及していく。そうして、「一億総中流意識」時代に突入していくのであった。
1950年代の三種の神器といえば、「白黒テレビ」「電気冷蔵庫」「電気洗濯機」であり、いざなぎ景気に1960年代には「カラーテレビ」「クーラー」「自動車」の3Cになった。
店舗を改築した翌年、昭和39年。時代のターニングポイントとなる、東京オリンピックが行われるのである。
普及していく電化製品の数々。
- 山形ではクーラーは夢の話。やはり扇風機が定番
- 照明器具は裸電球から蛍光灯へ。
- 炭火アイロンから電気アイロンへ。
- ガスや薪の炊飯から電気炊飯へ。
- パンの食文化の普及とともにトースターが。
そしてまもなく、カラーテレビの普及と共に専門電器店が乱立する世の中が来るのであった。
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昭和38年(1963年)の出来事
- 日本テレビ系全国ネットで「キユーピー3分クッキング」放送開始。
- 山形県酒田市沖にて、通報により無灯火の不審船を発見。
- 松下電器産業と松下電工の出資によりナショナル住宅建材設立。
- ニセ札防止のため新千円札(伊藤博文の肖像)発行。
- アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺される(ケネディ大統領暗殺事件)。
- 力道山刺される。12月15日死去。
- 大相撲秋場所 柏戸優勝
- 『鉄腕アトム』放映開始(~1966年12月31日)
- がっちり買いまショウ(毎日放送系)放送開始
- 松下電器産業、サービス本部を設置
ヒット曲
- ハナ肇とクレイジー・キャッツ「ホンダラ行進曲」
- 舟木一夫「高校三年生」
- 三波春夫「東京五輪音頭」
- 梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」
- ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」
- 坂本九「見上げてごらん夜の星を」
- 真理ヨシコ「おもちゃのチャチャチャ」
(Wikipediaより参照)
おぉぉぉを!
これぞ老舗の底力ですね。
こんな写真まで残っているのがまたスゴイ。
『創業85周年スペシャル』は永久保存版だね。
ぜひ、息子の代まで継承してください。
ひでおさん
ありがとうございます。結局はカイノ電器の社史、ルーツをたどる旅になりました。過去の写真をひっぱり出してきて、父にインタビューしながらコンテンツを作っています。
そうですね、永久保存版ですね。このまま社史として残してもいいかな?家族だけでなく、従業員にも見て欲しい内容となってます。
ひでおさん、大正時代、昭和の初めの香りがする写真が続々出てきますよ。それは、徐々にご紹介しますよ。