亘理へ:その2

ボランティアセンターについた。多くのボランティアとそれを世話するスタッフが賑やかに出迎えてくれた。
「5年後の亘理」とか「がんばろう東北」という寄せ書きがたくさんあり、明るい気持ちでボランティアのみんなを、そして被災された方々を奮い立たせてくれる役目を果たしてくれた。
ふつうは、受付で手続きするのだが、今回は大江町のボランティア集団として登録してあるので、役場の係の方々が代わりに登録してくれた。そして、古釘の踏みぬきが続出しているとのことで、鉄板の中敷きを貸してくれる場所もあった。ほかにも、スコップやら一輪車やら、泥かき道具など貸してくれる道具もあった。通常であれば、ここでボランティアのパーティを組み、スタッフとともに依頼者の家や事業所に向かう。

今回は、総勢20名を迎え撃つ昨日からの引き続きの現場ということだった。
現地には、トイレがない。ここで用を済ませ、どうしても用をたしたくなったら、ここまで戻ってくるか途中のコンビニまで戻るしかないという。私は、雨も降って来たのでカッパを着た。防塵用のマスクをし、念の為ゴーグルもつけた。防止の代わり、会社のヘルメットを借りてきている。
そうして、荒浜方面へとバスは向かった。

途中、パチンコ店の電光掲示板には、「ガンバロウ!東北」の文字が書いてあった。通りにあるパチンコ店のほとんどが、メッセージに入れてあるようだった。幸い、ガソリンや食料の不足はだいぶ解消してきているらしかった。これなら、ボランティアスタッフも買物が出来るから良かったなと思った。高台には津波も来なかったし、電気も通っているので何事もなかったかのような感じがした。

しかし、高速道路に向かうにつれ、浸水している箇所が多く見られるようになった。
電器屋の性分か、エアコンのなれの果て、ゴミとして出されている電化製品に目が行く。塩水をかぶった電化製品は腐食がひどく、塩水をすぐに洗い流さない限り使い物にはならない。冷媒配管だけでぶら下がっているエアコン、買って何年もたっていないだろうテレビ、まだ牛乳のパックなど詰められたままの冷蔵庫・・・私は商品の後ろに使っていた人たちの日常が重なって見えてしまう。目頭が熱くなった。
いたるところにあるがれき。だいぶ撤去したといっても車が突き刺さったままの家。住めそうな家、もう諦めるしかない家。
はらこめしの看板にがれきが突き刺さっていた。おいしいはらこめし、また食べられる日が来るのだろうか?
先にあるファミリーマートには誰もいない。ガラスを多くのがれきが突き破り、泥がかぶったままだった。たばこの自動販売機の表はこそげ落とされている。

途中、警察の検問を二つくぐった。愛知県警、遠くから御苦労さまです。そして、陸上自衛隊のトラックが何台も連なっていた。
そうして、阿武隈川の堤防についた。桜が満開だった。
鼠色をバックに桜色が泳いでいた。
「お前たちは、生きていたか。」
今年はあまり多くの人に見てもらえないその晴れ姿を、一生懸命我々に見せているかのようでなんか健気な気がした。

「さぁつきましたよ」
我々の出番はこれから。まるで砂浜のような砂の上に降り立ち、がれきの中を抜けて現場へ向かった。


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