大江面白市場
- 2010年 1月15日
- カテゴリー : 「セカイノカイノ」が行く! . 地域活動
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一昨年の夏ごろでしょうか?
大江町役場の産業振興課の音頭で「一宝逸品運動に参加しませんか?」と御触れが出回りました。
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この運動は、役場の音頭で、大江あきない会といういろいろな業種が集った組織を作って、目玉にしていこうというもの。ただ、その背景には、全国的にも有名な大分県の豊後高田市の有名商店街「昭和の商店街」での「一宝逸品」にどうもインスパイアされているらしい。
確かに、左沢地区の商店街も、昭和の「左沢大火」がなければ古くて趣のある「江戸の商店街」になることができたかもしれない。が、今は、昭和や大正、明治の面影が残る家もだいぶ少なくなってしまった。商店街の景観的な観点から考えると、さすがに不安もあります。
それでも、世界遺産に登録しようとまでなった「最上川の歴史的景観」。その中で、歴史を語る上で、外すことのできない街「左沢(あてらざわ)」であります。ここ左沢には、少ないなりにもいまだ風情の残る家々もありますし、家宝として、近江商人から伝わったとされる、江戸時代の雛人形があったり、鎌倉時代には、鎌倉幕府から遣わされた大江氏や江戸時代の庄内藩の分藩「左沢藩」などの遺跡や史跡跡も残り、京文化やら、最上藩やら上杉藩やら、庄内藩の文化がまじった文化や風習、お祭りなど、面白いものがいまだゴロゴロしています。
景観条例も持つ大江町。この「大江あきない会」が何か新しいムーブメントを起こすのか!?
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(と妄想は広がりつつも、どちらかというと私も、「わが社の会長が大江町商工会の会長を務めていた」というお付き合いの流れで、否応もなく入会していました。)
最初の全体会議の中で、会長と副会長を決め、「大江あきない会」が立ち上がったのでした。
そして、昨年の3月頃から活動を開始したのです。
否応なく入った私でしたが、その会長と副会長とも同級生とあっては、なおざりにはできなくなりました。
わが社も、その運動の流れに乗り、一宝と逸品を捻出しました。
これが、こちらです!「一店逸品一宝」←大江町のホームページ
これは、産業振興課の話を受けて、その趣旨をそれぞれが解釈し、各お店が「一宝」や「逸品」をそれぞれの感性で登録し、独自のサービスも考案し、パンフレットを作製したのです。
そして、できあがったパンフレットはすばらしいできでした。
・・・でも、先ほど書いたように、どちらかというと独りよがり的な発想で、それぞれの店舗が考案したために、逸品や一宝の捉え方はまちまち。何よりも、会としてイベントなどをどうするとも決まっていない・・・
結局、昨年は、
プレミアム商品券の発売時に、大江町交流ステーション(左沢駅)での展示即売会イベント。
各お店ごとに、パンフレットを提示することによるサービスの開始。
の活動で終わってしまったのです。
そして、来年への向けての全体会議の中で「のぼり」と「パンフレット」を作る事が決定されました。さらに、産業振興課の係が県からの補助金を引っ張ってきました。そこで、急遽、特別臨時会費と県からの補助で「パンフレット立て」と「看板」をつくることになりました。
ここまでが大江あきない会の主な流れでした。
しかし、全体会議が開かれ、その看板やパンフレット作製の話が出て来た時、いろいろな意見がどんどんと出てきました。
「なんとなく盛り上がらない。」「参加する店の意識がうすい」「看板なんていらない」「もっと何かやらないといけない」などなど、かなりラジカルな意見もありましたが、あまり参加していないお店も参加したために、主旨が良く伝わらず、会議は紛糾してしまいました。
その会議もですが、内容についても、会長と副会長の二人だけではなかなか決められないということで、私の他3人を加えた5人+商工会+産業振興課でコアな所を決めることになりました。
そして、
昨日、看板とパンフレット立ての原案ができたということで、初の「スタッふ?会議」(これ、正式名称)に私のコードネーム「パナちゃん」として参加してきました。
予算やら原案やらありましたが、そもそも大江あきない会の芯がまだ出来上がってないため、今回はパンフレット作成(これは後日)とパンフレットたてに力を注ぐことになりました。
ただ、来年の雛祭りまでにパンフレットとパンフレット立て、看板あらためステッカーの作成しなければなりません。
来月にもスタッふ?会議と全体会議がありますが、どうなることやら・・・(汗)
ご覧の皆さんも、何かいい意見ありましたら、どしどしご応募ください(笑)
わが店の「一宝」
(昭和10から18年頃の製品)
当店の創業者「海野俊治」が販売したと言われております。 川口地区お住まいのお客さまより、「カイノさんで持ってたほうがいいべ」と言われ、真空管式カラーテレビとともに提供頂きました。
今はもう、壊れてならないラヂオではありますが、「第二次世界大戦の天皇の玉音放送をこれで聞いた」とその時代背景などもうかがっております。