子供たちを通してみた被災地

今日、義父と義母に連れられてうちの長男と二男が救援物資を届けに石巻方面に行ってきました。
親として、「悪ふざけしないこと」「よく義父と義母の言うことを聞くこと」「勝手に表に出たりしないこと」「マスクと長靴を持っていくこと」など事細かに注意して、最後に「お前たちの眼で、被災地をしっかりと見て、パパとママに教えてくれ」と伝え送り出しました。
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会社から帰宅すると、子供たちは帰っていました。
「どうだっけ?」
と二人に聞くと
「・・・うーん、すごいっけ・・・」
とどう表現していいかわからないようでした。
「みんな、めちゃくちゃだっけ・・・」
長男が口火を切って、夕食の間、二人の子供たちは私達と父と母に見てきたこと、聞いてきたことをいろいろと教えてくれました。

港に大きな船が乗り上げていたこと、コンビニを突き破っていろいろなものが流されていること、スーパーの駐車場に家が転がっていたこと、石油コンビナートのタンクが普通に転がっていたこと、川の中に家も車もいろんなものが浮かんでいたこと、家やコンビニなどに車や船が突き刺さっていたこと、トイレが転がりそこにイカが落ちていたこと、まったく何ともない街とめちゃくちゃな街は隣合わせだったこと、米軍の空母が見え海では捜索活動していたこと、街はパトカーや自衛隊、消防隊の車がたくさんありサイレンが鳴ったりして騒がしかったこと、水道は壊滅で完全復旧には五年はかかるのではないかと聞いたこと、石巻の病院(日赤?)はすごいがいっぱいいたということ、トイレに行きたくても水道が通ってなくて大丈夫な地域まで我慢したこと・・・

やはり行って見ないとわからなものです。
私は「なるほど・・・」とただただうなずくばかりでした。子供たちの眼には何が写り、何を聞き、何を心に刻んできたのでしょうか?
私は長男に、「今回思った事、見た事を何かに記録すべきだ」と伝えました。きっとこの経験は、今後未来の日本を復興するための力になるのではないかと思ったのです。

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ところで、夜のゴールデンタイムにNHKで被災地の状況を特集していました。「医療の崩壊」がテーマでした。

ヘドロが多くてそれが飛び交い、それを吸って肺炎になった話。ヘドロから荷物と取出している最中、破傷風になった人の話。避難所では次々と倒れ、死んで行く人も数多くなっています。疲労による過労死やエコノミー症候群、さらに伝染病などのほか、病院に行けないため薬がもらえず持病の悪化など多くの問題が存在しています。石巻付近では病院や医院が壊滅状態の中で、石巻の赤十字病院が孤軍奮闘しています。

救急病院の使命でしょうか、来る人来る人を次々に見ないといけないし被災者を避難所として受け入れていました。そうなると救急病院であっても外来も見ないといけないから、本来見るべき救急患者で手に負えない患者は東北大学病院に送ります。
東北大学病院は宮城県いや東北のの高度医療の頂点に立つ病院ですが、転送されてくる患者も多く、手術室など施設が震災で壊れているということもあり、次々と隣県の山形大学病院に患者を搬送します。
次々と運ばれてくる山形大学病院では、予定されていた手術がどんどん延期になっていきます。また山形大学病院には、福島原発の避難民も外来に来ています。
通常山形大学病院で直りかけの患者達は、近隣の病院に転送してもらって経過を見てもらうのですが、その近隣の病院も他県からの入院患者などで手いっぱいだったり、病床が満床になっていたりします。震災の影響がない地区の病院ですら、医療が崩壊しつつあるのです。

この原因は、あまりにも広域で規模の大きい災害であったということ、地震で病院も被害があった所が多いということ、津波ですべてがズタズタになってしまったということ、原発で被害が軽微なところでさえ避難せざるえなかったことなどなど、悪条件が重なっているようです。

健常者で被災度合いが低い我々は、本当に必要な方々が病院で治療が受けられるよう、病気をせず、怪我をせず、健康であり続けることが大事ですね。


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