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- 2011年 6月10日
二男の通う左沢小学校の第四学年通信「さくら」。この第9号に四学年全員でつくった詩が載せられていました。
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東北地方が、今ピンチだ。
三月十一日に、東日本大震災がおきた。
あの日、帰りの会が終わり、
家に帰ろうとしたしゅんかん、
「カタカタカタカタ・・・ガタガタガタガタ・・・ガシャン。」
いきなり、教室がゆれ出した。
先生は、さけんだ。
「はやく教室のドアあけろ。教室の外にいる人は、中に入って机の下にかくれろ。」
長いゆれに、友達は泣き出した。
私はどうしていいか、わからなくなっていた。
机の下に身をかくした私は思った。
「九歳で死んじゃうなんていやだ。」
私も大泣きした。
どうしても泣きやまなかった。
その夜は、こわくてこわくてねむれなかった。
地震から一日過ぎて電気がついた。
テレビをつけると、震災の映像が流れた。
堤防をこえる 津波の高さ。
人々が悲鳴をあげている。
にぎやかな街が、
一斉にかわったしゅんかん。
どうしたらいいか、わからない。
逃げようとしたけれど、
まき込まれてしまった人々の思い。
地震がこんなにこわいとは、
思いもしなかった。
息もできなくなりそうな
想像も絶する大震災。
きっと、子どもたちは朝、
震災が起きるなんて誰にもわからないまま
お父さんお母さんに元気にあいさつをした。
これが最後のあいさつになるなんて
知らないままに。
被災地のひとは、悲しんでいる。苦しんでいる。
私たちに、その気持ちをわかってほしいと
思っているかもしれない。
今のわたしたちにできるのは、
被災した人の気持ちを考えること。
自分ができることに協力すること。
被災した人でさえ、
自分のことではなく、
みんなのことを考えて行動していたのだから。
今までの幸せは、
ものを買ったりすることだった。
でも、本物の幸せは、
命があって、家族や友達がいて、
あたたかいごはんを食べられること。
当たり前だと思っていたけど、
本当はうれしいことなんだね。
大切な人がそばにいてくれることが、
大きな幸せだということを考えることが、
自分を幸せにしていくんだね。
津波でなくなった子どもたちは
きっと将来のことを思っていたと思う。
津波に巻き込まれた子どもたちの将来を
今受け取ってあげたい。
だから、私は生き抜こうと思う。
一生けんめいに生きようと思う。
がんばろう東北。
フレーフレー日本。
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